心から「どっちでもよい」と思っている状態

 最近に頂いたアドバイスで「心から『どっちでもよい』と思っていてもらいたい」と、在り方について助言いただいた。

 何かに取り組もうとした時に、変に力が入ってしまったり、これまでの経験・思考パターン、反応傾向で自分なりのイメージであったり、道筋をつけながら物事を進めようと関わっていったりする。

 そんな自分の在り方、人とのコミュニケーションをとりながら柔軟に応対していったり、器用にできないものだろうか。

 とにかく、省みている。 同じ処をぐるぐる廻っているようにも思うけれど、なので現時点を一旦記してみたいと、久々に日記を記すことにしてみた。

 

 「どっちでもよい」どう転んでもそれでいい。 あらゆる想定をして、起こりうる事態を受け入れる。  どっちの事態も起こりうる。  どちらでもよい。 

 

 割と、全般的に大抵の物事についてそんな気持ちでもあるように自己の性質をみているのだけれど、私の場合、次第に「どうでもよい」と投げやりな気持ちに陥って、メンタルも落ちていく傾向はよくあるかなと思っている。

 

 誰かと過ごすとして、好き嫌いがはっきりしていたり、物事即決したり、はっきり意見を言ってくれる、決めてくれる人、伴に過ごしていて気持ちが良い(ことごとく趣味がズレているとしたら、距離をとってしまうとは思いますが)。

 

 「どっちでもよい」は待ちなのだろうか。 即決めてくれてもいいし、先送りしてくれてもいい。 先送りした結果、期限を過ぎて乗れなかったとしても、それでいい?   

 

 自分がどうしたいのかも解りずらくなってくる。 

 

 どちらかといえば、自ら納得して、その状態を主体的に選んで、そこに在りたいと思う。

 「心からどっちでもよい」と、淀みなく、スッキリと思える状態、そう在りたいとも思える。

 

 最近、ちょっと焦っているのか、「決めたい」気持ちがある。

 

 決めても、決めなくてもどっちでもよい。

 

 そこで決めても、時が経って、状況が変われば決め直してよい。

 

 そこで決めなくても、時が経って、決めたくなったら、為せばよい。

 

 どっちか以外の選択肢があってもよい。

 

 んんん、 もうちょっとこの辺りで迷っていそうな私です。